カナシイトキ二
ある日、突然忘れかけていた感情が、何かが引き金となり、拍子に出てくることがある。
それは自分でも抑えられないくらい衝動的なものであったり、
いてもたってもいられなくなったり、
すぐに時間とともに過ぎていくものであったり。
うまくいかないことばかりが続き、惨めな気持ちになったり、姿を消したくなるようなこともあるかもしれない。
そんな日は自分には訪れないと思っていながらも、
突然迎えてしまうことがある。
その感情はどこからくるものだろう。
ネットや情報を探してもどこにも答えはない。
自分と向き合って、感じて、不愉快ななんとも言えない気持ちがありながらも探ってみる。
もちろん探れない時もあるけれど。
誰かにわかってもらいたいがそこは完全に分かり合えないし、
自分で自分をわかってあげる努力が必要である。
その感情を見ないように蓋をするとまたいつか人生のうちに同じ感情に出逢ったり、またふつふつ思い出すだろう。
感情と記憶は本当に厄介ものである。
自動的に自分の脳で変換され、ゆかりの感情、ゆかりの記憶が出来上がってしまうのだから。そして時間経過とともに、記憶から忘れることもあるし、感情、記憶がこんがらがり厄介になることもあるし、記憶から忘れたと思っていても、体にはしっかり残っている。
それに気づいて、処理できていなかった思いや記憶、感情など
言葉にしてこなかったものを言語化し、そう感じていたんだねと気づくのは自分の癒しに繋がる。
芋づる式に出てくる時もあるが、出ない時もある。それを引き出すのはなかなか難しい。
静かに座って瞑想と呼べるようなものでなくても自分の呼吸とつながるだけでホッとする。
涙は流しておけばいい。
こんな時にヨガと出逢っていて心から心底良かったと思える。
回復までに時間はかかるかもしれない。
それでも自分を責めない。
時間がかかってもいいじゃないの。
人にどう思われたって自分を可愛がってあげてちょうだい。
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