神への信愛とは

自粛生活が始まってから、

以前の職場の皆で集まりオンラインでお茶会をしている。


先日は、ヨガオタクたちによる

『バカヴァットギータによるバクティについて』

シェアをする会。


なんて、マニアックなんだー!

子供がいる人が多いので、できるところまでというシェア。気が楽。


【そもそも『バガヴァットギーター』って何?】

めちゃ簡単に書くと、

神の詩という意味で、ヒンズー教の聖典である。

ヴィシュヌ神の化身であるクリシュナが悩める王子アルジュナに教えを説く。

人生とは何か、悟りとは何かを説いていく。


初めて、これを読んだのは確か10年前。

何いってるの、この本。と思い、それから開くことはなかった。笑


で、今回このお題で、考えてみた。


バクティとは、信愛とかいうけどよくわからない。

Wikipediaによると

バクティ(bhakti)とは、ヒンドゥー教で

「最高神への絶対的帰依」を意味する語。

「信愛」とも訳される。

はい〜(´-`).。oOなむなむ。


【神の存在は至る所にあるのでは】

神という存在はあると私は信じる。

でも、36年間見たことはなく、まだはっきりとはわからないのが本音だ。


そこで私は一時的にグルというよう存在を立てた。

先日、インド占星術を見てもらった、その先生がグルと見立て、神から降りてくる言葉だと信じた。


占星術は、生まれた場所、日時で決まっているとのこと。


先日のセッションで魂の声に沿っての使命があっての自分の潜在的な力をどう伸ばすか、前世などを見てもらった。


自分で持ってない力だろうと思っていた力が私にもあった。


それは文章を書く力、経営センスがあるらしい。


初めて聞いたときは、ん?これは盲目的に信じていいのかと疑いがある。。


でも、この方は神から降りた言葉、あーだこーだいう前に、動いてみようと、ブログを再開し、まずは書くことに努めてる。

私の使命を実現すると決めることができた。

ふんっ。


グルのいうことを神の御言葉として捉え、信じる。

それを実行し命をいただいていることを
お返しをしていく。

今の私にはしっくりくる。


これはグルという存在がいなくてもいい。

先日、ある人と話してたら、

『私、その言葉が聞きたかったんだ』と言われた。

きっとこれも神がおろした言葉なのではないか。


目の前に起きているすべの現象は偶然ではない。

全て必然で起きている。


それを神がおろしたメッセージだと捉える。

ユーミンの唄。


🎵やさしさに包まれたなら きっと〜

  目にうつる すべてのことはメッセージ🎵


全てはメッセージなのだ。

【聖典の読み方】

偉そうに言える立場ではないし、読解力もない私がいうので、読み進められない方にはいいかも?

①一度で理解しようとしない。

一生かけて読むものだと決める。
10年前に読んだ書物を最近体験やある程度の少ない知識があったからこそ理解できたものがあり、読み進められる。

②自分の身近なこととして置き換えて考える

修行者向け以外の聖典であるなら、必ず私たちの生活のなかで見逃していることがある。
それを気づかせてれるための書物。
一度、読むのをやめて考えてみる。
合ってる間違っているのはないのだから。

③仲間と読み進める

こういった聖典は自分のことで考え、結論を出し、シェアしてくれる仲間がいたら尚更良い、というのは今回のオンラインシェア会での気づき。
同じ課題であるにも関わらず、皆の視点は様
々な切り口でおもしろい。
そんでまた読み返したくなる。
歴史や背景も異なる聖典を読むのは難しい、仲間と読みすすることはおすすめだ。



yukari_yogini

自分らしく生きてますか。 人や環境に合わせすぎている日本人。 本来、人はもっと自分の思いを大切に多少わがままであっていいのではないでしょうか。 今ある自分の肉体、自分の心を見つめる時間をつくりましょう、気付きましょう。 そして認めてあげます。 それだけで、世界の見え方は変わります。 もっと自分を褒めて、 心から大好きと言えるようになっていきましょう。

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